無線電信が発明され、船舶通信に利用され始めた20世紀初頭は、まだ無線局が少なかったため、電波の発射に対する規制は何もありませんでした。
 しかし局数が次第に増えて混信が深刻になるにつれ、様々な問題が発生しました。
 例えば、大電力送信機を装備した大型船舶が通信を始めると、他の船はそれが終わるまで待たなければならないとか、他社の無線機を使っている船の電報は取り次がないなどです。
 このような暴力的な、または閉鎖的な運用は無線通信本来の利便性を損なうだけでなく、船舶の遭難や災害に際しては人命に係わる問題になります。こうして電波の運用に関して国際的なルールを作ろうという機運が高まりました。
 その手始めにドイツの提案によって1903年に開かれたのが万国無線電信会議の予備会議であり、さらに3年後の1906年に開かれた第1回万国無線電信会議(通称ベルリン会議)です。
 これを皮切りに、その後1914年の第1回海上人命安全会議(タイタニック号の悲劇を教訓にして、船舶局の運用などを定めた会議)など、電波の利用を国際的な場で規律する多くの国際会議が開かれてきました。