日本では、マルコーニの無線電信の発明から2年後の明治30年(1897)に逓信省電気試験所の松代松之助が、少ない文献を頼りに無線電信機を開発しました。松代松之助は、明治30年12月築地海岸に送信機を設置し、受信機を小船に乗せて1.8kmの通信に成功しました。次いで明治31年12月、月島と第5台場間(3.3km)において自ら開発した無線電信機を使って双方向の通信実験に成功しました。地図は、これらの実験の位置関係を示すものです。

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日本の無線電信機開発者
松代松之助


 海軍省は明治33年に、艦船用の無線電信機の自主開発をきめ、逓信省から松代松之助を嘱託に、また第2高等学校(現東北大学)から木村駿吉を教授に迎えて研究を開始しました。そして明治34年には、約150kmの通達距離を持つ34式無線電信機の開発に成功しました。
 木村駿吉は、さらに改良を重ね明治36年に実戦での使用に耐える三六式無線電信機を開発しました。



明治33年2月
 海軍大学校で行なわれた無線通信実験

左端から松代松之助、中央のマント姿は山本権兵衛海軍大臣
装置左から印字機、リレー、受信機、電鍵、誘導コイル
   
三笠記念館に保存されている三六式無線電信機のレプリカ
左にコヒーラ受信機、中央に誘導コイルと火花間隙、右に水銀リレーと電鍵